おばあの半生記

島の思い出

子供の頃は、忙しかった。朝は大きな鍋に芋を炊く。小さいものも大きいものも、かずら(芋づる)を上に置いて一緒に炊く。これが朝ごはん。毎日芋。(だから、今ご飯を毎日炊く感覚と同じ。)煮炊きした下の灰の中に芋を埋めておくと次の日には焼き芋になっているがこれは美味かった。で、かずらや小さい芋、皮は豚に食わす。ちょっと芋をつまみながら牛を放牧に出かける。一頭。名前は無い。海のそばの毛(もう:原っぱ)に放す。友達もみんな来てるので、指笛(イービフケー)で合図して呼び合う。

牛を置いて家に帰り、味噌汁と芋の朝ごはんを食べてから学校に行く。弁当も芋。大き目のものを持っていく(ちょっと見栄が入っている)。学校は向かいのうちの塀向こうにある。低い石垣だから、飛び越えたら学校に一直線。5分とかからん。学校でしたことは勉強以外に、4,5年から野球もした。

学校から帰ってきたら水汲みをする。男の子は畑に行き水汲みは女の子の仕事。うちは女の子が一人だから。全部自分がする。井戸は近所だからいいけど、深いのが難儀。縄(ゆうなんぎで作ったもの)は12ひろある。釣瓶の桶はクバ(クバガサの材料)なので、ゆっくり下ろさないと、井戸の縁の石にあたって壊れてしまうから気を遣う。運ぶための桶をいっぱいにするには10回くらい汲まないといけない。桶はガンシナー(わらで出来ている)を挟んで頭の上に載せて運ぶ。重いから人に頭に乗せてもらう。人が一緒にいない時はまず、石垣の上に桶を置いて、そこに釣瓶で汲んだ水を入れる。これを運んでトゥージ(やわらかい石をくり貫いてできた自家用水タンク)に入れる。トゥージが一杯になるまで10回くらい運んだ。水汲みが終わると牛を迎えに行く。紐を引いて帰る。

これから遊び。お母さんのおじさんのうちでよく遊んだ。おじいさんのうちはみんな(近所の子7,8人)の溜まり場だ。一人暮らしで寂しくしているので、みんなで励まそう。おじさんの家はでかい上等家(じょうとうや)。庭は広いし、ガジュマルの木もある。木の上にはヤックヮ(遊べるようにござのようなものを敷き詰めたもの)も作った。鬼ごっこ、縄跳び、鞠つきなどして一日遊びつかれたら縁側でうたた寝。ところでこのおじさんは病気で陰嚢が極めて大きく(やかんぐらいの大きさ)、パンツもふんどしもつけることができないので、前掛けのようなものを装着して隠している。でも昼寝すると、良く見える。それで子供達はわらをもってきてつつく。と、おじさんは蚊がきたと思って扇をパタパタして追い払う。子供達はさっとよける。また、つつく。パタパタする。爆笑。夜、7時、8時ごろまで遊んで帰る。家に帰ると晩御飯。晩御飯も芋と具だくさんの味噌汁。たまに魚が出た。お父さんは大阪に出稼ぎに行っているので、おばあちゃんとおかあさんと兄弟3人で食べる。

行事の時:正月は半年前から豚を養う。正月用の豚。200斤(120kg)まで大きくする。12月29日になると手足をくくって外に出す。30日の朝豚を殺して血抜きし、毛を焼いて、海で解体し中味も全部出してよく洗う。腸の中まで棒を突っ込んで洗う。赤肉は血を混ぜてチーイリチャーにし、飾る。先生やお世話になっている人のところには1斤おすそ分けし、送るところには送って、残ったものは甕の中でスーチカー(塩漬け)にする。